今日は蜂が庭に現れて柵の留め具の部分を噛んでいた。
カチカチと音が鳴るので見ていたら、しばらくしてどこかに飛んで行った。
思わず“なにしてんの?”って言いそうになった。
そこでなんとなく嫌味の効果を考えてみた。
嫌味って言われた方は気分が悪い。
言う方は気分が悪くなっている相手を見てスッキリする。
でもそれってなんか一方的。
嫌味が通用しない場合はどうなるんだろう。
私の人生では通用してしまうので、なにか余程のことがあったり悪癖を発見してしまった時に発するようにしている。
でもそれが伝わらない事って実際あると思う。
世界は広いからそんなことは五万とあると思うのだ。
だからこそいつも通りでないことほど恐ろしいことはない。
そして今思うのは、眠りが浅くて夏バテっぽくて辛いけど適当に過ごした日々などないということ。
馬鹿にされてもいいけどそういう人間ひとりひとりの真剣さを感じ取れない人とはやっていけないと思う。
そういうの必要なくなればいいかな
それを言う楽しみくらいあってもいいかな。